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○1988年の目標は達成されまして、その後も作業は続いております。1989年から1990年の間、シドニーでは不動産価格の下落がありまして、民間プロジェクトの多くで、ダーリングハーバーで建設中だったものも、経済的に困難な状態に陥りました。これは特定のプロジェクトに問題があったというよりも、経済全体の問題でした。その問題を乗り越えるために様々なことを考えてみましたが、不動産の価格の下落が問題となりました。
こちらがテニスのコートでありまして、建設されておりますが、この地域は民間開発プロジェクトのために、ダーリング・ウォークという名前のプロジェクトで、そのために掘り起こしておりました。しかし、キャッシュフローがなくなってしまいまして、プロジェクトは止まってしまいました。ですから、町の真ん中から見ますと、爆発地のように見えてしまいまして、大変悪影響を及ぼしました。そして、銀行との交渉が行われまして、500万ドルでこの場所を景気が改善するまで押さえるということにいたしました。その500万ドルを使って、この場所は復旧いたしまして、このように開発されました。残念ながら、この開発がオプションを行使する時期に来ましたら、テニスコートは取り上げられてしまいました。人々がこの場所を使うことに慣れていたわけでありまして、オーソリティーは法的にその権利を持っていまして、スポーツ施設のために、この土地を使うということが、当時できなくなってしまいました。
○もう1つのプロジェクトで問題となった例でありますが、マーケットシティのプロジェクトで、チャイナタウンのそばにあるものですが、これは古い歴史的な壁であります。このプロジェクトは、オーソリティーができる前は、週末に市場となっていた場所でありまして、最終的にはこのマーケットの壁を維持しようといたしました。最初の開発がうまくいきませんで、これは8年間も建設が続いております。4年間何回も所有者が変わっている場所です。この地域全体は、建設がずっと続いているということで、長い間人々が使うことができませんでした。
○プロジェクトにいろいろな問題がありまして、お手元の資料にはもう少し詳しいことが書いてあります。しかし、問題があるにもかかわらず、開発は続きました。その多くは、ダーリングハーバー・プロジェクトの規模が、多くのディベロッパーがかかわっているということで、大手のディベロッパーもいるわけです。オーストラリアの主要なディベロッパーがかかわっているわけで、そういったところは何とか生き残ったわけです。
投資は、伝統的な性質の内容のものでありまして、これは32階建ての商業オフィスでありまして、オーストラリア大手のディベロッパーのレンドリースが開発しておりまして、野村とロイヤルエステートと共同で行っております。3つのタワーが開発されますが、これが第一段階のものです。
○大変質の高い開発で、結果には満足しております。
○1999年のリースになっております。
○ほかの開発も行われております。ホテルもあります。

 

 

 

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